女性活躍推進支援は、会社経営の実績とキャリアコンサルタントの専門経験のある、プロフェショナルにお任せ下さい。

女性活躍推進をお手伝いさせて頂きます。

ルミエール株式会社

東京都千代田区九段南1−5−6 りそな九段ビル5F KSF

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PROFILE

 

宜しければ、ご笑覧下さい。

東京都出身。

自動車部品の製造・販売会社を経営する父母のもと、

3姉妹の次女として、好奇心旺盛で、活発な幼少の頃を送る。

日本の高度成長期にあたり、社会も、自身も明日に何の不安も

なく、楽しい日々を過ごしていた。

専業主婦であった母親の

「将来は、女の人も仕事するようになるから、

 仕事はやりなさい。一度、やったらきっと止められなくなるほど、面白いと思う」の

 言葉がインプットされた、印象が、なぜか、ある。

大学受験。志望校は惨敗。

現役合格厳守の家訓により、滑り留めであった、実践女子大学に入学するも、

皆と相談しながら・皆と一緒に行動するカルチャーに馴染めず、

再受験を目論んでいたが、スキー部に入部。

置かれた環境の中で興味のあることを見つけ出す大切さに気付く。

そして、3年の春に学生課に貼られていた「学園祭実行委員募集」の求人票をみて、

おもしろそう!と応募。

やるなのなら、好きなようにやりたい!気持ちから、実行委員長に立候補。

希望者がいないために即決。

常盤祭パンフレットより

初めて持つ、名刺に感動!

授業には出席しないが、毎日、学校へ行く日々が続く。

無から立ち上げる、常盤祭学園祭実行委員長の

仕事にのめり込む。

記憶にある予算は300万円(だったような記憶程度)。

学園祭のコンセプトを作成。「目覚めよ個性に」と決定。

パンフレットの広告掲載依頼のために、

大学の所在地である渋谷区東界隈の商店街を巡る。

講演依頼、コンサートの出演交渉、

出展者・学内各関係団体との調整、

大学近隣へのご挨拶、等々、

皆と協力しながら、創り上げるプロセスに、充実感を覚える。

入学当初は、女子大のカルチャーに馴染めずにいたが、

寧ろ、男子のいない、女子だけで全てをせざるを得ない、女子大学の環境であったからこそ、

互いを尊重しながらも、遠慮することなく、議論もできたし、

この立場の仕事もできたのだと感じていた。

自ら、行動できるって、素晴しいことと実感。

学園祭の前夜は、極度の緊張から、眠ることもできなかったが、

それでも充実した気持ちに満ち足りていた。

3日間の開催は多くの入場者をお迎えすることができ、涙の祝杯!

経験したことのないことへの挑戦は、最高!

責務を全うすることにやりがいを痛感

仕事は、きっと面白いに違いない!熱狂的に仕事に憧れる。

生涯できる仕事に就きたいと感じていた。

そして、大手建設会社熊谷組秘書室入社。

秘書は、男女雇用均等法施工前の当時は、

キャリア志向の女性がめざす仕事のひとつであり、

秘書枠での採用がある会社は稀有であった。

学園祭で仕事の楽しさを経験した私は、自立して長期的にでき

る仕事を希望して入社。

当時、熊谷組は、土木の熊谷と言われ、黒部ダムの建設工事な

ど、土木工事には、定評があったが、その、土木本部を追随す

る立場である、建築本部を指揮する、

専務取締役建築本部長の個人秘書となる。

ビル建設には、数百億円の予算が付き、

大きなプロジェクトを指揮する建築本部長の様子を間近に見て、

仕事のダイナミズムを知る。

凄い!のひとこと。

私も秘書として、待ち受ける仕事ではなく、直接的に仕事のプロセスに関与でき、

決裁権を持つ仕事をしてみたい、でも、今の私に何ができるのかしら?

石の上にも3年。簡単に仕事をやめてはいけない、投げ出してはいけない・・・。

そして、とらばーゆ(当時は、転職をとらばーゆと表現していた)。

 

その後、時は経過。

専業主婦から、社会復帰にチャレンジ。パソナに派遣登録。

パソナの女性達が、イキイキと働く姿は、専業主婦には、
眩しすぎる程に輝いて見えた。

この匂い、この雰囲気、これぞ、私の生きる道と感じた。

パソナでの仕事は、就職氷河期の女子大生の就職問題を

解決する事を課題に設立された

パソナエキスパート株式会社で、新卒研修参加者担当となる。

パソナエキスパートの当時の社長は、現在も、パソナでご活躍中の長畑久美子社長。

若く美し女性が社長なんて驚き! やる気満載!

専業主婦から経済的にも精神的にも自立すべく、水を得た魚の様に仕事に専念した。

 

そして、2001年、特定派遣リーディングカンパニーである、

株式会社フォーラムエンジニアリングのグループ会社である、

一般派遣と人材紹介を事業とする、

フォーラムスタッフ株式会社に、部長職として入社。

初めての部下を持つ。

素晴しい、上司・仲間に巡りあい、社内の新しい仕組み作りに

積極参加。眠っていた、鼓動が動きだしていることを実感していた。

2003年 代表取締役に就任。

売上を20億円から40億円に成長させる。

成長の原動力は、新卒者・第2新卒の就職支援として、

現在の厚生労働省「若者キャリア応援制度」のしくみに

匹敵する就労スタイルを考案し、事業化したことによる。

新卒者・第2新卒に対して、社会人としての基礎研修後、

就業。以後、紹介予定派遣で正社員化へ。就職を推進。約800人の就職支援を行う。

また、女性会社経営者として、大学でのキャリアプログラム等で講演を行う。

私自身も、創業者より、代表取締役の役職と飛躍の機会を頂き、また、

金融機関出身である業務上の直接の上司から、経営のノウハウは基より、

創造力の必要性、意思決定プロセスの考え方、管理職としての、所作・振る舞い等々、

数えきれない程の多くの事を教えて頂く。

仕事を通じてでなければ有り得ない、素晴しい出会い、感動、

歓び、充実した日々。生きていることを実感。

バリキャリの働き方に満足。

残業100時間越え、休日出勤はあたりまえ。

会社を成長させること、成果を出すことだけを考えていた。

一方、悪戦苦闘、悩み、悔しさも、嫌と言うほど、味う。

眠れない夜も幾度も経験。

2008年のリーマンショック、及び、労働者働者派遣法改正等などにより、

市場規模が急速に縮小。

グループ親会社の株式会社フォーラムエンジニアリングに吸収合併される。

2010年に退職。

JCDAの総会で、元NCDA会長の
ジョアン・ボールズビー先生と

今までの、自分は何だったのか? 砂を噛む日々。

自己を振り返るため、キャリアについて、学びながら、

自己概念を取り戻す。

以後、社外取締役紹介会社の副社長、

上場ソフトウェア開発企業の人事部長を歴任。

2012年、CDA(厚生労働省認定キャリア・コンサルタント能力評価試験)資格取得。

大学キャリアセンターで、就職相談のキャリアカウンセラー、

パソナキャリアで、公務員の再就職支援のキャリアドバイザーとして、合計、700回以上の

キャリアコンサルティングを行う。

また、講師としてマネジャー研修を担当。

経営者・人事部長職・キャリアコンサルタントとしての多様な経験から、

新たなチャレンジとして、稀有な女性代表取締役の経験を活かす

女性のキャリア開発に興味を感じる。

「ルミエール」はフランス語で「光」を意味することから、
キャリアを導くイメージとして
社名と致しました。

一念発起!

私を育ててくれた、会社・社会・人へ感謝の気持を伝えたい、

女性経営者として、また、キャリアコンサルタントとしての

経験を生かし、世の中の役に立ちたい想いから、退職を決意。

2014年 父親の経営していた合資会社を

株式会社へ組織変更。

2015年4月より、女性活躍推進を目的とする

ルミエール株式会社を本格始動。現在に至る。

 

最後まで、お読み頂き、有難うございました。